le cafe COQUELICOT pour un penseur solitaire

我がオーディオの世界

audiophileの世界

 

  スティーブ・ジョブスの成し遂げた革新のひとつに音楽配信の市場化がある。かつてのレコード盤がテープになり、CD・DVD・ブルーレイなどコンパクトディスクになり、そしてついに、それらモノベースから脱却、モノの製造・流通の課程を不要にしてしまった画期的なことである。

 

  だが、その革新性はそれはそれとして、これはジョブスが音楽なるものにさほどの感性を持っていなかったからできたこととも言える。audiophileには考えられない発想だからである。

 

  音楽、もっと言えばいい音楽、を聴いて感銘を得ることは、美しい自然を美しいと感じ、うまいものをうまいとするのと同じ、誰にとっても変わらぬ人の本性であろうが、こと再生音楽に関しては一定の再現レベルの伴わない限り、受け入れられないのがaudiophileであるがそのレベルを携帯端末で実現するのはほぼ不可能とみるのである。

 

  音楽再生のレベルは、音質・音像・音量をもって計ることができる。音質とは、楽器あるいは人声の音色・透明度・技巧を生と同じ波形を描くことであり、音像とは音の定位、つまり楽器のあると同じ位置から聞こえることであり、音量とはその音質・音像を壊さない最大適正量であるが、音が空気の振動によって耳に伝わるものであってみれば、携帯機器での再現性には自ずから限度がある。

 

  その再現性の理想は、ひとことで言えば極限までの生の音への接近である。

だが、実はそれは音源それ自体のレベルの問題であって、実際に耳に届く音の比較では、必ずしも生の方がよくて、再生音はそれに追随するというものでもないのところにオーディオのオーディオたる意味がある。

 

  私がオーディオ世界に開眼した瞬間とも言える経験からその意味を考察してみよう。

オーディオ開眼

 

  大学での授業とアルバイトの疲れを癒やす夕食までのしばしの寛ぎのひととき。まだ迷う余地などないわずかなコレクションの中から選んだのはバッハ「ブランデンブルグ協奏曲」であったと思う。6曲のうちのどれであったかはわからない。

 

  協奏曲と言っても、どれも弦楽合奏と言っていいこの曲集は、冒頭から“~っせ~いの”と言わんばかりに、いきなりフルユニゾンのアレグロで始まる。この導入部から一気に小気味よいリズムに乗せられ、思考力のなくなった脳は魔術にかけられたように全身が耳になって17世紀の宮廷広間に引き込まれてゆく。

 

  うとうとと半睡状態になってふと気がつくと、チェンバロのしゃんしゃんというあえかな響きが耳元で鳴っていた。

  多分、指揮者が受け持っているはずの、このバッソ・コンティニュオ(通奏低音)は音楽会場でもよほどかぶりつきでなければ聞こえてこないものである。それがどうしたと言われると困るが、これが音をとらえる耳の快感であり幸福である。

 

  50年前のレコードでそこまでの録音の技術のあったかどうか、これは複数のマイクを使い、多分チェンバロ専用に音を拾って、ミキシングでもそれを生かしているのだ。これぞオーディオの醍醐味たる音の定位というやつである。それはたとえ録音がそこまでできても、プレイヤーとスピーカーにそれだけの分解能がなければ、これまた再現はできないし、携帯機器には遠く及ぶものではない。

 

  同じバッハの「ヴァイオリン協奏曲1、2番」でもあったことであるが、チェロかコントラバスかの低いうなりが耳元に聞こえ、そこにフォルテッシモの絃のユニゾンが重なると、演奏者が一斉に同じ方向に体を反らし弓を弾きおろすのが見えてくるや、滝壺に落ちてゆくような快感が背中を抜けた(女なる“イク”とはかくやとも思った)。

 

  これは目の見えない人が異常に聴覚を発達させるように、生演奏と違って視覚の邪魔しない中での研ぎ澄ました耳の生むある種の幻覚で、これぞオーディオ効果である。

 

  また、これは多くの人が経験しているであろうが、例えば、ピアノの全鍵盤を使うようなグリッサンドで、良い装置では、左のスピーカーの低音部から、中間にもスピーカーがあるかのように、右のスピーカーの高音部に移ってゆく。これは、現実の演奏会場ではあり得ないことながら、この方がもっともらしい臨場感を与えてくれるから不思議である。 

 

  お抱え楽団で、好きなときに、好きな曲を、好きなだけ聴くことのできる王様になれるのがオーディオなのである。カラヤンであれ、リヒテルであれすぐに呼び寄せることができる。

秋葉原詣で

  オーディオは、その装置抜きには語れない。装置の探索、そのための本・雑誌そして秋葉原という聖地が、我がオーディオワールドの始まりにあった。

 

  大学入学すこし前くらいにクラシック音楽の洗礼を受け、海外からの来日公演などチケットの入手に苦労しながら、ちょうど文学への関心や女の子とのつきあいともからみ音楽会は新たな世界を提供してくれてはいたが、音楽の真髄に触れたと実感できるようになったのは、オーディオに目覚めいい装置で聴くようになってからである。そのプロセスはちょうどオーディオ業界の成長の軌跡と重なる。

 

  秋葉原はもう様変わりしたが、当時はまだラジオと無線の街であった。やがてさまざまなオーディオ製品が並び始め、「何々無線」という店名でも、オーディ専門店であったりした。その後、東京オリンピックを契機としたカレーテレビの普及とともに、家電の街に変貌してゆくまでは、秋葉原は男だけの電気・オーディオマニマのメッカであった。

 

  ただ私はマニアではなく、やや敷居は高かったが、それでも何やら知れぬ数限りないパーツの山を、またアンプやスピカーの蝟集する店頭を物色するは、子供の頃の昆虫を求めてひとり雑木林を分け入ってゆくのと同じわくわく感があった。

 

  我が家からは、高田馬場と新宿で乗り換えて小1時間の秋葉原に通うそれ以上に時間をかけて没入したのは、オーディオ誌であった。

 

  言ってみれば、ただの箱に過ぎないスピーカーや、ダイヤルつまみがついているだけの無味乾燥な真っ黒な物体たるアンプなどの写真集の、いったい何がおもしろいのかと言われるような雑誌であるが、これがおもしろいのである。何時間でも飽かず眺めていられる。年末になると、それらの集大成たる、「ステレオのすべて」と言った“ベストバイ”たぐいの大部な臨時増刊も出て、冬中楽しむことができた。

オーディオ装置

 

  音は空気の振動によって伝わる。よって、装置と言っても、音の善し悪しの半分は聴く部屋に左右される。部屋の条件を無視しては、どんなにいい装置でもその効果を発揮できない。

 

  そして、振動を発生させるのがスピーカで、装置自体の善し悪しの半分はスピーカーで決まると言っていい。我々の趣味レベルでの普通の部屋ならば、ほどほどのところで我慢してスピーカーにややウエイトを置くくらいでいい。

 

  限られた予算で、プリアンプ、メインアンプ、スピーカー、プレイヤー、チューナーと揃えてゆくのは難しい。それで最初はサンスイのコンポーネントにした。センター部分と両側にスピーカーのある出来合いセットである。

  レコードを回転させるターンテーブルと、そこに針を落として音を拾うアームとカートリッジは振動が大敵であり、とにかく重量感のあるものをとして決めた。これに高音用スピーカーを追加し、出力の大きい真空管に取り替え、ソニーのオープンデッキをつないだ。

  今は、スピーカーはビクターのSX500SPIRIT(これはもう

どこにも売っていない小型の生地仕上げ)、それにサンスイのアンプ(AU-607写真右)、ソニーのプレイヤーをつないで聴いているが、もうかれこれ20数年になる。

チューナーはトリオからパイオニアに変えた。

  スピーカ以外はそれぞれ最下位機種であるが、それでもアンプ出力の1~2割しか使っていない。せめて半分の音量で聴くのが夢である。スピーカも多分その性能を発揮し切れていないと思っている。

五味康祐

 

  本は実際に買って読んでみないことにはその価値はわからないから、書評や読書案内は無駄な金や時間を使わないため、それなりの意味を持つが、自分の聴いていない音楽会の批評ほどつまらなく、意味のないものはない。それは再現できないからである。そこに、媒体としての再生音楽存在価値のひとつがある。

 

  ただ、それ以前の問題として、音楽はいかに言葉を尽くしてもその真価を伝えることができない。自ら体験してみてその言葉に共感できるか否かが判明するだけのことだ。

 

  そしていかなる言葉も音楽の感動に追いつくことができない。それでもなお、演奏批評・鑑賞分野のあるのは、スポーツ試合の興奮を反芻するための楽しみのようなものに過ぎない。

こういう音楽と言葉の関係において、私が唯一音楽を語ることのおもしろさを知ったのは、五味康祐からである。                     

  その始まりは、「芸術新潮」に連載された「西方の音」(写真右)

であった。これは、五味が良い音を求めて世界中の録音と機器を

探索し、その道程の苦労と邂逅の喜びを、文学的装飾抜きに、

ひたすら自らの耳と感性によってのみ、“いいもの”を腑分けして

みせてくれるものである。

  曲そのものについても、演奏者についても多いに語っているのであるが、決してよくある鑑賞の本質と関係ないいわゆる蘊蓄ではなく、ひとつの audiophile空間に渾然としているのである。

 

  それがうそにならないのは、音を聞き分ける天性の才を感じさせるからでもある。小林秀雄の例えば「モーツァルト」などどこからみても“文学”であり、言葉によってねじ伏せようとするところのあるに対し、五味のそれはオーディオ好事家としての絶対信仰の醸すものが、自然に音楽と言葉をつなぐ道にいざなってくれる。例えば彼はカラヤンを好まないが、それが実に説得力を持っている。

 

  一度、その小林と五味の対談がラジオであった。両者とも細くやや高い音程の穏やかな口調ながら、そこに時折ふたつの異能の感性が火花を散らしていた。

 

  五味は一般には、剣豪小説家として知られているが、スタートは芥川賞である。思うに、彼のその音楽への感性が、言葉は音楽に叶わないと悟らしめ、“西方”への憧れをそのままに、エンタメ小説に走らせたのではないか。 

  私の通っていた高校の近く、大泉(練馬区)に住み、当時ならば家一軒は買える1000万円も投じたオーディオルームとタンノイオートグラフ(写真右)で聴いていたという。

(この装置とコレクションは練馬区に寄贈されている)。

 

  五味は手相・顔相を能くし、自らの死期も占い、昭和50年、それに近い年齢(58)で亡くなった。その何年か前、車で人を死に至らしめる事故を起こし、そのときひたすら聴いたのは、ベートーベンの後期ピアノソナタだったという。30・31・32番であろう