le cafe COQUELICOT pour un penseur solitaire
春日大社にて
高校の修学旅行は2年次を終えてからの3月も残り少ない数日、私には初めての京都・奈良であった。
まだ、うそ寒く、お初のダスターコートがちょうどよかった。早朝、品川駅発、特急「つばめ」の修学旅行専用列車で、帰りはその夜行、宿は、団体専用と思われる京都聖護院の宿坊であった。
訪ねた先で今も覚えているのは、京都は新京極通り、奈良は唐招提寺と春日大社、この3つだけだ。
新京極のあのアーケード(写真右)の隠微なローカル色に何かハプニングのないものかと内心期待したが、もとより集団の行動で何もあるはずもなく、結局、母へのおみやげにと、何故か、タケノコとすぐきの漬物を買っただけであった。
唐招提寺では、案内の坊主の朗々とした“エンタシス”(写真左)の説明に、妙に心地よい響きのあったのが残る。
そして忘れられぬは、春日大社でのほんの一瞬の出会いだ。
夜来の雨に一面しっとりとした境内の、うっそうとした木立の下の暗い坂道(写真右)をみんなしてざわざわと上がる途次、ふと見ると、道路脇に
ゴザを敷いてうずくまる母と子のあった。
こんなところにも乞食かと見ぬふりに過ぎようと一瞥したのが、つと面を挙げた子供の視線とぶつかった。 まだいたいけな女の子のすこし惚けた中に諦めと恨みのこもるまなざしが射るように迫ってきた。
数歩過ぎてから、何かしてあげなくてはという強迫観念が襲ってきた。だが、周りの動きに足は止まらなかった。 やはり何かせねばと逡巡しつつ、集団の列から抜けられない。引き返そうかという思いを引きずりながら、違う風景に紛れていった。
帰途についてからもしばらく後悔の念がつきまとい、また、何日か、何年かしてからも、薄らぎながらも、時々ふっとその時の念が蘇っては消えた。
あれから50有余年、どこかで生きているのであろうか。
カフェコクリコ 目次に戻る 2012.2.14