le cafe COQUELICOT pour un penseur solitaire

不倫は悪か

 

 

不倫は、その意味するほどの悪ではないが、悪とされることで価値をもつ。

不倫の意味

 

  不倫の「倫」とは、人として守るべき道のことで、その道に背くのが不倫。

 

  「道」は別に男女の関わりに限るものではなく、社会的規範とでも言ったらいいか。 

  しかるに、今、「不倫」はもっぱら夫婦の規範を逸脱すること、それも、肉体的関係にまで及ぶ場合を指す。ただの浮気は、その実をつかみにくいが、事実を措定できる男女の関係は、それが許されないこととする憎しみの評価から、不倫とされるのであろうか。   

 

  この、不倫の意味の限定には、二重に問題というか、綾がある。

現実の不倫はどんなものか

 

  まず、現実の不倫は、さほどに人の道に背くほど深刻なものが一般なのであろうか。   

 

  中には、抜き差しならぬ背徳と裏切りの不倫もあるにはあるであろう。 だが、多くは、それほどのレベルに進む前に、結婚そのものが破綻してしまうのではないか。

 

  だから、現実にある大方の不倫はさして深刻ではなく( 少なくも当人にはその意識がなく )、ただ夫婦間のセックスの飽き足らなくなって、その欲求不満を外で解消すべく、しかし、 現状の家庭を壊すことなく、 つまり倫理の安全弁は維持してなされる、単なる「婚外セックス」に過ぎないのである。  

 

  ほっておいて、その代替満足の得られれば、いずれ元のさやに納まるものを、不倫として糾弾し、本当の不倫に祭り上げでしまうことなしとしない。

 

  一回性の生理たる「セックス」に対し、心の問題たる「浮気」は容易には終息し難く、むしろ、より罪深い。   

 

  二重の綾であるとは、その単なる「婚外セックス」も、実は、不倫扱いとされることで、その価値が出る、つまり、当事者の満足は達成されるものだということである。もし、たとえ結婚していても、外での性交渉が全く自由とされたら、「婚外」の魅力もたちまち色あせてしまう。

 

   不倫という後ろめたさがあって、その意識のまま、リスクを冒すことで、夫婦生活の惰性によって不能となった状況を更新できる。タブーあってこそ、性は蘇る。

結婚という制度が生む不倫

 

  結婚という社会制度は、伴侶以外との肉体的関係を認めない。しかし、何年、何十年もの同じ相手との千篇一律の行為には、必ずや倦怠が忍び込み、欲望が充足されなくなる。

 

  それどころか、その行為自体に困難をきたしてくる。それは、人のセックスというのは決して犬のような単純な生殖本能のみではなく、優れて脳に支配される快楽の行為でもあり、倦怠は最大の敵だからである。

 

  性行為は、決して性的に感応する先端が自立的に作用しているのではなく、脳の欲情中枢が性感センサーからの刺激を受けて興奮し、それを生殖器に伝えることによって可能なのである。

 

  よって、常に新鮮な刺激のなければ、興奮の度合いは減衰してゆく。同じ相手との同じ行為の繰り返しの夫婦生活の年数は、まさにその減衰過程なのである。  

 

  だが、制度としての結婚は、子供ができて家庭が形成されれば、それで目的を達するのであって、そういう“性の生理”については関知しない。そこに、不倫とされるところの「婚外セックス」の意味が浮上する。  

 

  結婚という制度内では、疲弊した性の解決策はない。しかし、婚外であろうと、やることは同じであり、それを制度に則って、内に取り込んでみても、また、同じ道を辿ることになる。婚外にあることに意味がある。   

 

  不倫が字義通りの不倫であれば、それは悪に決まっているが、単なる婚外セックスというのは必ずしも絶対的悪ではない。しかしながら、その婚外セックスは、不倫という悪の衣を纏ってこそ存在価値のあるものとなる。

不倫ランキング

 

  余談ながら、『一盗、二婢、三妓、四妾、五妻』という諺がある。

 

  男が食指を動かす女の属性別誘惑度ランキングである。   

 

  男が何と言っても、ちょっかいを出したくなるのが、人の妻。

『盗』とは、寝取ることか。不倫の典型と言っていい。   

 

  二『婢』は、“はしため”、今風に言えば、下女や女中。

手下という感覚では、部下の女の子や秘書などもそうであろう。   

 

  三『妓』は、ひところの芸者がこれであろうか。半ば色を売るプロとして、目垢のつきやすいのが弱みである。 今は、多分に女優という人種がこの地位に群れている。   

  四、五は、読んで字のごとく、一番低いのが妻で、妾は、その妻に近いポジションだから、注目度も低いのである。   

 

  まあ、勝手と言えば勝手ではある。 しかし、家庭人という役割を捨象した、本音のところの男の性(サガ)を示してはいる。   

 

  考えてみると、このランキングは性のタブーの度合いとも符号する。

人の妻が最大のタブーで自分の妻のタブー度はゼロに近い。

 

  何でもOKの筈の相手が、最もやる気を起こさせないとは…。