le cafe COQUELICOT pour un penseur solitaire

品格ばやり

タイトルがすべて

 

  フィクションは別にして、あるテーマでの書き下ろしが、ベストセラーになるかどうかの要件の第一は、本のタイトルにあると言って過言ではない。

 

  人のこころの奥深くに、ぐさりと手をいれ、底にわだかまるものを掴みとり、目の前に曝して見せてくれる、そんなインパクトのあるタイトルのつけられれば、人気ゲームソフトや最新モバイル機器のように売れること請け合いである。

 

  だが、そうしたベストセラーがロングセラーなることは稀である。

それはベストセラーの多くはそのタイトルがすべてだからである。タイトルに惹かれ、飛びつき一気に読み通し、そうだそうだと溜飲を下げやはりタイトル通りであったと納得する。

 

  なんのことはない、その本の内容をひとことで要約したのがタイトルであり、つまるところ、そのタイトル以上のことは何も言っていないのである。芸能週刊誌の大見出しのようなものだ。

ベストセラー

 

 そんな少なからぬ経験から、ベストセラーにはすぐには飛びつかず、一歩をおいて、年経てまだ生き残っていたら読むことにしている。

 

  だから、先年、400万部を越えたという『バカの壁』も、やや惹かれたがまだ読んではいない。これはタイトルで売れたベストセラーの好例であろう。何と言っても、“バカ”は強烈である。

 

  この世に溢れるくだらぬことや固陋な観念などさまざまな心理・言説障害を“バカ”とひと括りにした上で、それが 巨大な“壁”となって、社会、組織、世間、人心に立ちはだかり、それであなたの行く手も阻まれているのだ、というのであろう。けだし、名タイトルではある。

 

  これに続いたのが、『国家の品格』であろうか。やはり読んではいないが、想像できるのは前著の“バカ”を“品格”の視点から捉え日本国の現状を嘆いてみせたのだ。

  

  土地バブルとその崩壊に始まる失われた10年が、20年になり、なお、展望の開けない、その要因を社会の無節操と政治の貧困に求めているのだ。

 

  まあ、それはそうであろうが、“品格”なるものを“国家”に冠したのがこの本のミソであり、それに目をつけ、二匹目、三匹目のドジョウを追って、次々と“品格”ものが登場した。

 

  曰く 『女の品格』、『ハケンの品格』。そしてまた、元文化庁長官の『老いの品格』まで現れた、この無節操。それこそ品格にかける、一発ベストセラー狙い以外のなにものでもない。

品格とは

 

  大体、品格というのはこういう風に使うものであろうか。品格の反対、“品がない”とか“下品”を考えてみればわかるように、品格の有無は自ら表明するものではない。 品格があるとかないとかは人間の内面の外観への表出の印象を、その育ちや家柄や人格に結び付けて勝手にその高貴なるを想像するもので客観的な何かではない。

 

  こうすれば、ああなれば、品格が備わるとして意図されたものはそれはもう品格外の話である。国家であれば、それは他国の決めることであり、自国の基準でどうのこうの言っても何も始まらない。

 

  まして、女の場合の品格、老人だけの品格、そんなものどこにもない。まあ、恋愛指南や処世ノウハウの類とみれば、それはそれで結構ではあるが。