le cafe COQUELICOT pour un penseur solitaire

 “やせ”願望の錯誤

 

世間は本当は“やせ”がいいと思っていないのに、女性たちはやせたがる。

“やせ”願望の始まり

 

  日本航空が尊大に威厳を誇っていた頃、客室係(当時スチュワーデス)採用の条件に“容姿端麗”という一項があった。これは差別だとしてある時から使われなくなった。

 

  今、出会い系サイトの投稿文言に、よく、“元客室係”に加えて、“元モデル”というのがある。無論、自分のセールスポイントの売り込みとしてである。 

 

  この“客室係”といい、“モデル”といい、スタイルの良いことを示唆しているわけであるが、具体的には、それはスレンダーあるいは細身のことに他ならない。 

 

  つまり、容姿が美しいとは、とりもなおさず、スレンダーであり細身であることを買う側も売る側もそれに同意する中での採用条件であり、セールスポイントなのである。

 

  そして、この流れは客室係やモデルがもてはやされる職業としてメディアに乗って喧伝される過程でエスカレートして、明らかに“いいスタイル=やせ”にまで敷衍されてきている。

 

 その結果、“やせ”願望が蔓延している。 人はみな生まれつきの体型をもっていて太っていても痩せていても、心身健康ならば、何をどうすることもないのであるが、憂慮すべきは、“やせ”願望が、全くその必要のない人にまで及び、強迫観念にまでなっていることである。

 

 また、本来、全く別の問題である筈の肥満対策としてのダイエットブームが、その流れに混入して、かなりいかがわしいさまざまな民間療法やサプリメントがはびこってきている。

“やせ”はセクシーか

さて、こと、女性の問題に限るなら、つまり、男の目で見てみるなら、果たして、“やせ”は美しいのか。さらに言えば、“オス”の本能として、やせている女性に惹かれるのかどうか。

                                         

  もっと下世話に直截に言って、“やせ”を抱きたいと思うかである。入社まもなくの、Givenchy (写真右*)のオートクチュールにかかずらっていた頃、コレクションでの下働きをよくさせられた。

 

(*)ユベール・ド・ジバンシィ:2m近い大男で来日時はホテルのベッドを特別に用意した。また、その時はアメリカからのホモだち同伴で、こちらは女の子のように華奢であった。

 

  一回のショーで一人のモデルが7~8着を着替えるので、楽屋はもう戦場のごとくである。初めてその戦場での着せ替え場面に遭遇したときである。モデルたちが、その場に誰がいようがまるで眼中になく、潔くぱっと脱ぎ捨てるのにあっと驚いた。彼女たちは、衣装の下はパンティだけで何もつけていない。ブラジャーもしていない。

 

  その、仕事に徹したプロ魂には感心したが、意外にも、そこに発見したものは、およそ、男を欲情させないマネキンのような細くのっぺりした肢体であった。 

 

  服は、自分の体に合わせるものであるが、モデルには、どんな服でも見栄えよく見せることのできるよう、体型を主張しないマネキン性が求められるのである。

 

  特に、バストの有りすぎるのは、シルエット作りが難しくて困ると、アトリエのフランス人チーフが言っていた。 一方、こんなこともあった。チーフ以下、数人の縫い子が働くアトリエには、何体かのボディが置いてあった。特別上得意客の実際の裸身を体現したもので、立体裁断のためである。

 

  中に、よく見るとひときわ高いバスト、ウエストのくびれ、そして腰の張り、と見事な曲線を描くボディが一体あった。そして、偶然にも知ったのは、そのボディはいつも接客していたある外国人のもので、その人は、見た目にはごく標準的サイズの女性であった。 

 

  この意外性は、モデルたちのそれとちょうど反対に、脱いだときの思いがけぬ肉感性と触れたときの弾力性を想像させ、男をそそるのである。

男の目の評価

  ところで、これまでに男の目で見た“やせ”を評価する社会現象というのはあったであろうか。                                                       一時、英国発のツイギー(*右)なる“ガリガリ”が持てはやされたことがあったが、これはファッションのひとつとして、ジャーナリスティックに扱われたに過ぎず、すぐに消えてしまった。(*) twig は小枝の意。 

 

  これに対し、その言葉こそ最近あまり聞かなくなったが、“グラマー”というのは、今も昔も変わらぬ男たちの関心の高いカテゴリーである。 『プレイボーイ』や『ペントハウス』などの男性向け雑誌は競ってこの“グラマー”を掲載した。

 

  そのグラマーの花と言えば、なんと言ってもマリリン・モンローが代表格であろう。世界中の男たちに愛され騒がれたその魅力を一言で言えば、“セクシー”である。男を惹きつけるフェロモンいっぱいというわけだ。

 

  この、フェロモンを視覚的に捉えるなら、それは、女らしさの象徴たる、バストであり、ヒップであり、それを支える大腿であり、お腹も入るであろうか。

 

 いずれも、潤沢な脂肪によって魅力的な “曲線”の作られるもので、その脂肪が足らない貧弱な“直線”になってしまうのが、即ち、“やせ”なのである。

 

 特に、男児のように小さいお尻はいけない。よく、ぴっちりしたパンツで、敢えてそれを誇らしげに強調する女性を見かけるが、大いなる錯誤である。