le cafe COQUELICOT pour un penseur solitaire

長寿はいいことか

 

長生きという個人の幸福は、必ずしも国家の幸福にはつながらない。

喜ばしい長寿

 

  日本は世界一の長寿国で、それは喜ばしいこととされている。

 

  地域によっては、100歳など、まことに慶賀すべきことと、記念の顕彰をするところもある。

 

  世間も、それをよしとしているのは、それは、誰もが長生きしたいと思っているからで、その思いの先が、現実としてあるのは、とりもなおさずいいことなのであろう。誰もが早く死にたいと思っている国のあるとすれば、そこはやはり不幸な国だ。

長寿化の経緯

 

  だが、しかしである。それぞれの長生きが目出度いかどうかの次元ではなく、国民全体の長寿化を国家盛衰の文脈において捉えたとき、そう喜んでもいられないことに思い至る。 

 

  日本は、長らく、人生50年と言われていたのが、今、寿命は女86、男79、と、ざっと30年も延びた。それも、たかだか、この100年の間にである。この劇的な変化は、世界史的にも稀有なことではないか。

 

  日本的食・生活風土と栄養の改善、医療技術の進歩、保険衛生行政と国民皆保険など、その背景は色々あろうが、それらいずれも、この100年間の、これまた近代史上類を見ない、明治以降の近代化と戦後の高度成長の結果であり、長寿化はその道程と軌を一にしているのは紛れもない。

長寿化のもたらしたもの

 

  この軌跡における、我々の到達した豊かさの成果としての長寿と、経済発展の行き着いた果ての、バブル崩壊からの失われた10年が20年になり、なお、その脱出口の見えていない状況、これは、因果の連環を示すものではなかろうか。

 

  つまり、経済発展のひとつの成果としての長寿が、こんどは逆に、経済にブレーキをかける原因のひとつとして作用しているのではないか、ということである。

 

  まず、この長寿化の予想もしなかった速度とその度合いである。そして、ただの長寿化ではなく、一方で少子化の進行による人口構成の極端な高齢化、即ちピラミッドの崩壊がある。

 

  生物は、子孫を残すため、生後の死亡率の高い場合、その歩留まりに応じて、魚のようにたくさんの卵を産む。人間の場合も同じではないか。生まれてみな無事育つものであれば、そうたくさん産むことはない。

 

  長寿化に反比例して、出生の減ってくるのは、どの国にも見られる状況であり、どこの国よりも急速なこの自然の変化に社会制度のついて行けなかった結果が現在の日本の状況である。

社会制度設計との乖離

 

  日本は、欧米列強に伍して行くため、富国強兵、殖産興業、そのための“生めよ増やせよ”の旗が振られ、それは、いくつかの戦争を経て加速され、人口は理想的なピラミッドを形成した。

 

  そのピラミッドはいつまでも変わらぬものとして、敗戦後の新規巻き直しにあっても、その前提で、あらゆる社会制度設計が行われた。

 

  だが、その設計思想の基本ファクターたる人口ピラミッドは、国の発展とともにどんどん変形していった。

 

  裾野の広い磐石の労働人口が、山頂のわずかな労働卒業高齢者を支えるという構造が完全に崩れ、裾野が縮小、労働人口が減少する一方、食べて、寝て、排泄するだけの、そして多額の医療費を費消しながら頂きに憩う老人がどんどん増えて、逆ピラミッドにもなりかねない構造に変わってしまった。

制度上の矛盾の露呈

 

  65歳以上の医療費は、それ以下のすべての世代の5倍にもなり、その医療費は31兆円を越え、なお毎年1兆円ずつ増えている。

 

  これまでの制度の恩恵で(また、バブルのおかげで)老人たちはけっこう蓄えを持っているが、この超長寿化の時代にあっては、なお、将来に備えねばならず、また、過大な資産家であれば、あまり消費には興味を持たず、そうそう消費してくれない。

 

  1400兆円とも言われる個人金融資産はそうやって滞留し、その国債にまわる分は野放図な財政赤字を許してもいる。

 

  一方、長寿化に伴う定年延長と、不況下での従来制度のしわ寄せで、若年労働には非正社員が多く、年金保険料もまともに払えず、国民年金の納付率60%という数値は、制度そのものの崩壊の危機を示している。

 

  健康保険も、若い健康な層の払う保険料で老人の医療費を賄うという構図は完全に崩れている。国民健康保険は、貧しい市町村ほど保険料負担が大きいという矛盾もあり、また、福岡県のように医療機関の充実している県ほど医療費が多く、一方、長野県のように高齢労働者の多いほど医療費は少ないと言う皮肉な状況がある。

 

  パラサイト族などいうのも、こういう社会構成のひずみのもたらしたものであり、少子化に拍車 をかけるひとつにもなっている。

どうしらたいいか

 

  どうしたらいいか。まさか、そう長生きするなとも言えないし、また、これは意のままになるものでもない(少子化も同じである)。まずは長寿礼讃の考え方からは脱却し、老人優遇などやめたらいい。

 

  そして、税制も含めたすべての社会制度の再設計である。その際、面倒なのが、すでにこれまでの制度での恩恵による既得権をどうするかである。よほど合理的な理由のなければ、基本的に不利益変更は法的に難しい。

 

  だが、違う角度からのアプローチ、例えば、老後に必要なある一定以上の資産については、大なたを振るう課税をしてもいいのではないか。それと、長野県に習い、老人をもっと働かせ、年金をもらう側から、払う側に移行させることである。

 

  ただ、単なる定年延長では労働コストは減りにくいので、定年はむしろ従来の60歳あるいは55歳にまで下げ、給与のピークも定年5年前くらいに設定し、一方、70歳くらいまでの再雇用制を広く義務づけるのである。