le cafe COQUELICOT pour un penseur solitaire

ひとり生きることについて

人はみな、ひとり生まれ、ひとり死んでいく。

 

     他者ではない自分としての命を与えられ、そして他者がとって代わることのできない

 

     ものとしてその命をひとり全うする。

 

       いかに想う人であっても、たとえ一心同体の契りのあっても、血を分けた肉親で

 

     あっても、死はそれぞれ別個の死であって、死ねば、自身がよってきた元の元素に

 

     返り、それぞれに宇宙に散ってゆく。

 

       それは、生き方にも生きた長さにも関係なく、また、善悪、信仰、貧富、地位名声

 

     など、一切の生きた証、幸不幸とも関係ない。

 

       人一個の生はどこまでもその一個限りのものである。

 

   

       しかし、一方、人はこの世に生を享けてから、死の直前まで、他者との関わりなし

 

     には生きてゆけない。必ずや、誰か両親の元に生まれ、家族あるいはそれに代わる

 

     庇護者に育てられ、学校やさまざまな社会現場で学び、さまざまな組織の一員として

 

     働き、また、国家社会の成員として、その役割を果たし、恩恵を受ける。

  

       つまり、人はどこまでもひとりひとりでありながら、そのひとりとしては生きてゆけ

 

     ない。この二律背反が、この世にあるあらゆる人間の問題の始まりであり、この

 

     始まりを知ること、そして、そのやるせなきを静かにみつめてみることが、生きること

 

     の困難に向うもっとも重要な一歩であり、よりよく生きることの端緒でもある。

 

 

       ひとりでしか存在し得ないことと、ひとりでは生を全うできないことの関係、その

 

     関係性の中に問題を解く鍵がある。